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小田急線・世田谷地区の複々線化工事を振り返る(上)

2014年も残すところ今日を入れて31日だけとなりました。皆様の2014年はどんな年だったでしょうか?さて、今年12月は小田急線・世田谷地区の複々線化が完成して10年という節目を迎えます。世田谷地区の工事状況を振り返りつつ、今回から3回にかけて管理人が記憶にある限り語っていきたいと思います。

※今回は7月の北総線と同じく文章だけになりますことをご理解お願いします。

小田急線の複々線は1978(昭和53)年に代々木上原~東北沢間(0.7km)が最初で、1997(平成9)年6月に喜多見~和泉多摩川間(2.4Km)の工事が完了しました。複々線の計画は1964(昭和39)年の時点で持ち上がっていたものの、オイルショック、バブル崩壊、さらには住民による騒音訴訟問題等が重なり、世田谷代田~喜多見間の複々線化工事は1994(平成6)年12月着工となってしまったのです。

そんな中で世田谷代田~喜多見間の複々線化工事が始まる半年以上前の1994(平成6)年3月、経堂検車区は複々線の用地を確保するために喜多見に移設されました。現在、経堂検車区があったところは商業施設や小田急箱根高速バスの車庫に変わってしまい、当時の面影は全くと言っていいほどありません。

梅ヶ丘地区で線路際に住む住民の中には「小田急線の複々線化反対」「地下化賛成」などといったプレートやのぼり旗を自宅前に掲げていたことを今も記憶に残っています。また複々線化工事にあたっては、住宅・商店の立ち退きを余儀なくされた方々もいました。確かに世田谷地区は住宅・商店が密集しているエリアだったので、一筋縄にはいかなかった部分があったのも事実です。

高架化の進行もなかなか思うようには進みませんでした。1999(平成11)年3月に祖師ヶ谷大蔵駅の下り線、同年7月に経堂駅上り線が高架化されます。経堂駅上り線が高架化された時には上り線のホームだけが10連化されました。当時、新宿発着の8連準急のみ経堂駅に停車していたのが、同年7月の改正では上りの10連準急(千代田線直通も含む)も歩調に合わせて停車するようになりました。その結果、10連準急は下り通過、上り停車というアンバランスな形態になってしまいました。(なお平日ラッシュ時間帯のみ全列車通過)

2000(平成12)年に入ってから経堂駅は下り線も高架化され、同年12月の改正で10連準急はラッシュ時間帯を除き上下線とも停車するようになりました。本来であればこの時点で急行も停車駅に格上げしてもよかったのですが、そういう計画はまだ浮上すらしていませんでした。2002(平成14)年3月改正で準急のほとんどは多摩急行にシフトされ、今思えば経堂駅にようやく「急行」が停車するような時代がやってきたような気がしてなりません。1990年代には考えられないような出来事でした。

話を戻しますが2001(平成13)年10月に千歳船橋駅の下り線が高架化されます。工事もそのころは順調に進んでいたこともあってか2002年3月には梅ヶ丘~喜多見間の下り線の立体化(ただし成城学園前駅のみ地下化)、同年6月には成城学園前駅の上り線が地下化、さらに半年後の12月には上り線の立体化が完了し、梅ヶ丘~喜多見間は上下線とも踏切ゼロを達成することができました。ただ、ラッシュ時間帯のノロノロ運転は相変わらずでしたが、同区間が踏切ゼロになったことで地域の分断や道路交通の改善につながったことは言うまでもありません。

中編では新たな歴史が始まった2004年12月11日を振り返ってみようと思います。

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